049 人生の達人と旅する
   森 敦著 わが風土記 
文芸評論家 平岡 篤頼
出典:サンケイ新聞 昭和57年10月4日
 山形県の月山や庄内平野、改修された大仏殿落慶法要の際の奈良、あるいは平戸や能登や仙台や高梁へと、折に触れて著者が訪れた各地についての文章を集めたものであるが、これがどういう訳か、ただの紀行文と片づけるにしてはこくがあり、ずしりとした読み応えがある。
 日曜の午後の気晴らし向きの読み物としては、もともと旅行記は伝記やうまいもの評判記などと同様、最適のジャンルである。だが、そのつもりで寝転んで読みはじめたのに、いつの間に起きあがり、さらには姿勢まで正してじっくり取り組んでしまっているのである。
 著者は二十歳前に早くも文壇にデビューしながら、六十歳を過ぎて名作「月山」を発表するまでの間、いわば筆を絶って流浪の生活を送ってきた人である。月山や奈良や熊野のように、年を経て再訪した土地での見聞が、往時の回想と重なって文章に厚みを加えているのはわかるが、平戸や能登や遠野のように、雑誌等の依頼による「注文旅行」でも、観察の細かさ、発想ののびやかさが変わらないところが、並の旅行記のスケールを越えている。
 飄々として風のごとく来り、風のごとく去り、古い家並みの消滅も無趣味な風景の変貌も嘆かず、すべてを達観しているところは現代の仙人のようでもあるが、だからといって見たいものだけ見るというのでもなく、見るべきとされているものも見、嘱目のすべてに興味を持っている。風の音に耳を凝らし、沖の波頭に見入るばかりでなく、同行のカメラマンであれ、出迎えの観光課員であれ、行きずりの通行人であれ、温容をもって接している。
 なにか、人生の達人とともに旅するような印象を読者は抱かせられる。そのせいで、透明な目を通して眺められたそれぞれの土地の街区や城や民家や市場などの具体的なイメージが、読者の目の前にもくっきりと浮かんで来るのである。その密度の濃さは、ほとんど小説に近い。
(福武書店・一四〇〇円)
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