063 「マンダラ紀行」森 敦著
  真言密教への大衆的考察も   文芸評論家 白川 正芳
出典:日本経済新聞 昭和61年7月20日(日)
 マンダラを見ると、私たちはまず絢爛たる色彩で描かれた絵に眼を奪われがちだが、森氏は、マンダラには一体何が表現されているのか、を本書でひたすら追求している。なによりもこの点に本書の特徴がある。あわせて真言密教の秘奥に一歩踏み込もうというものである。本書のもとになったNHK・TV「森敦マンダラ紀行」を私は、偶然、観ている。とてもいいものだった。テレビでは、当然のことながら、映像が主体であったが、この本では一枚の写真も入れず、徹底して、文字で「マンダラ」を紀行、表現に努めている。
 著者もいっているように、密教とは、秘密仏教のことで凡俗には窺(うかが)い知れない教えがあるとされている。それを文字で表現しようというのは、本来、矛盾する営為であろうが、それを充分承知のうえで著者は取り組んでいるわけで、終始一貫して、文章に緊迫感がこもっているのが読んでいて快い。足の弱っている著者は車椅子で紀行を続けたそうだが、弘法大師空海ゆかりの地を訪ね、マンダラをみる喜びが、内容を深いものにしている。
 まず、著者の故郷の月山に近い湯殿山は胎蔵界大日如来とされる大岩石をご神体とするといったことから始まり、高雄山神護寺、東寺、東大寺、高野山慈尊院などを訪ねて、いずれも由緒のある絶品のマンダラを見て歩き、そして最後は四国八十八カ所お遍路の旅でしめくくるという構成である。、
 神護寺では、娘時代に高雄マンダラをみて発願、マンダラの中に生涯をこめたという妙秀尼が描いた胎蔵界・金剛界の両部マンダラを東寺では、空海によって請来され、連綿として図写されできた両部マンダラを見た。そして「弘法さん」と親しまれている、真言密教の大衆的な一面についての考察もある。
 東大寺では大仏と、空海が創建した真言院から、建造物とマンダラ論を展開、また、大仏さまの座っている台座のぐるりには、千枚の蓮の花びらがあり、そのそれぞれに中くらいな千のお釈迦さまのいられる百億の世界を見ている。考えてみるとこの百億のちいさなお釈迦さまというのは、結局、われわれ人間なのですね、と語る狭川氏の言葉を紹介したりしている。マンダラは煎じ詰めれば、わが心の反映ということになるのであろうか、マンダラを論じながら著者の精神がよく語られている本である。(筑摩書房・一、二〇〇円)

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