067 われ逝くもののごとく 森 敦著
   不在実在過ぎゆく時
(森 毅)
出典:朝日新聞 昭和62年6月16日(火)
 「群像」に三年にわたって連載された、七百ページ近いこの作品は、なにより庄内平野の物語である。月山の山懐の注連寺から十王峠へ杉林を登ると、カタクリの花が一面に咲いて、その果てに鳥海山が聳(そび)えている。
 めんごい少女サキの周辺では、戦中から戦後にかけて、さまざまの人たちが逝(す)ぎていく。それはすべて、首をくくったり、崖(がけ)から落ちたり、偶発的な死である。したがって、医者は死亡証明のために来るぐらいで、棺桶屋(がんや)や焼き場のじさまのほうが、物語にしばしば登場する。人間の死は、雪で折れる木の枝に似ている。
 最初の間は隠れたところからメッセージを発信しているかにみえる、「われ逝く(ゆ)くもののごとく」と名づけられる人物は姿を見せないままに退場し、それを伝えた若者や赤褐(あか)のセッターや福相の稲荷大明神へと、その名が伝承され、やがては子供たちが「われ逝くもののごとく」と言いたてながら、小銭をせびり歩く。
 あねま(女郎)ややっこ(乞食)たちが往来する物語の中には、「思想」を持った若者や「人生」を持った若者もいる。それは、彼の顔や姿の特徴と同じく、ときには呼び名として用いられる名詞となる。木の枝先に紅葉が舞うように、人には「思想」や「人生」が生えたりもするのだろう。
 消えた「われ逝くもののごとく」の不在が物語の展開とともに語られ、物語も八分通り終わりに近づいたあたりで、それに照応するかのように、不意に「わたし」という人物が登場し、物語に介入しはじめる。「わたし」は、作者自身を連想させながら、最後では現在の庄内平野の変容を語るにいたる。不在の「われ逝くもののごとく」と、現実の「わたし」、この両極の間にこの物語はある。物語の作者は、現実の「わたし」なのだろうか。それとも、不在の「われ逝くもののごとく」なのだろうか。
 この物語の中の実在は、山もしくは海で、波に光がさまざまの影をうつして、多彩な物語を紡いでいく。そこを過ぎゆくものは時の流れ。巻頭の「逝くものかくのごときかな 昼夜を舎(お)かず」とは、もとより『論語』の言葉だが、ここにあるのはむしろ、荘子の世界である。人はこの作品を読むことで、一つの夢を体験するだろう。
森 敦
(講談社・三、二〇〇円)
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