071 「われ逝くもののごとく」 森 敦著
   土着民を土着の眼で 川嶋 至(文芸評論家)
出典:東京新聞 昭和62年6月29日(月)
 この本は、「群像」に三年間にわたって連載された、森敦氏の一大長編小説である。表題は、「論語」の「逝(ゆ)くものはかくのごときかな昼夜を舎(お)かず」によっている。滔々(とうとう)と流れてやまぬ大河の運行に、人間の命の絶えることない連続性を重ね合わせているようだ。
 物語は、かつて庄内平野にのぞむ海港として栄えた加茂に始まる。代々日雇いをしてきた荒又の家の孫娘サキが紹介され、そのだだ(父)がが(母)、日露戦争に出征したというじさま、文字なし(文盲)のばさまが登場する。さらに漁の親方や、あねま屋(遊女屋)の女たちや、陸軍少佐で戦後は米兵の通訳をつとめた上海など、加茂に地縁のある多数の人物が次から次へと顔を出す。
 注釈を必要とする方言が多用され、戦前から戦後の混乱期にかけての民衆の生き方が、出羽三山をひかえ、信仰が生活に根をおろしている庄内地方の地誌と渾然(こんぜん)一体となって、地方色ゆたかに描かれている。話者らしき人物をのぞいて、知識人は一人も登場せず、土着の民を土着の眼で確かめようとしている。
 登場人物の一人は言う。「『われ逝くもののごとく』生き、『われ逝くもののごとく』逝(す)ぎるとしてもー滴の水として生れ出て、海のようだ広いとこさ出て帰(けえ)って、一滴の水としてあることを失うだけのことではねえんでろか」。「逝ぎる」とは死ぬことである。ここでは登場人物のほとんどが、自然の死だけでなく、ショック死、事故死、自殺等で「逝ぎ」ていく。
 「ああ、世は夢か幻」というのもこの小説のリフレインであるが、作者は人間の生と死の境界が意識の上で判然としないところに、桃源境を求めたのかもしれない。森氏の作家的情熱の噴出が読者を圧倒する作品であるが、それよりも私は、作者の内部に「われ逝くもののごと」き精神の定立をみたような気がして、恐さを感じた。
(講談社・三二〇〇円)
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