073 われ逝くもののごとく 森 敦著
   庄内の精神風土描く物語
古屋 健三(文芸評論家)
出典:日本経済新聞 昭和62年7月5日(日)
 三年にわたって月刊誌に連載された、千五百枚を超す、浩瀚な長篇小説である。
 芥川賞受賞作「月山」と同じく、山形県の庄内地方が舞台だが、「月山」が庄内の山にこもった作者の私小説だとすると、こちらはこの山のふもとで生きる人々を描いた大河小説である。
 江戸時代に栄えた加茂の港を中心に、鶴岡、酒田、吹浦、本宮、湯殿山、十二滝など、庄内のさまざまな場所に舞台を移して、利発な女の子サキ、その祖父母、父母、漁船の抱主夫妻、売春婦と船主夫婦、ブローカーなど、多彩な人物を登場させ、戦争末期から終戦直後にかけての混乱した世相を描いている。とはいっても、これは写実小説でも社会小説でもなく、じつは、作者が愛してやまない庄内の精神風土の物語なのである。ここは、真言宗が深く滲透し、即身仏信仰が厚く、なかでも鉄門海上人がことのほか敬われている、仏教的な風土である。
 しかし、信仰が日常の営みと強く結びついているので、きわめて卑俗な形をとることもある。たとえば、修行によってではなく、悪行によって万人を震えおののかしめ、ひざまずかせようとす善念大日が現れたり、正体不明の乞食坊主、われ逝くもののごとくがみんなの心にとりついたりする。病死、事故死、自殺と、登場人物の大半がつぎつぎと他界していくのも、戦後社会の混迷と重なって、末世を強く感じさせる。もっとも、作者は死と隣り合わせたこの状態こそ人間ほんらいの姿と考えているようで、ただならぬ無常感がこの作品を貫いている。
 しかし、死が身近に意識されるということは、逆にいえば、死者が生きているということでもある。じじつ、ここには、死をもってしても鎮めることのできない女の情念が渦巻き、男をめぐって激しい争いをくり広げる。とりわけ、売春婦から飲み屋の女将になりあがるお里は気丈な女で、善念大日が自分のまえで首をくくっても、顔色ひとつ変えない。
 お里は鬼子母神型の女だが、それに対し、吉祥天女のような、優しい女も登場し、男を温かく包みこむ。女のエロスが、死とからまり合って、ここには深く、しみこんでいるのだが、この作品は、こうした深みからふつふつとわいてくる言葉をそのままとらえて、読者に直接語りかける説話の体裁をとっている。
 これが登場人物の会話や独白とともに生々しい効果をあげ、方言もうまく活かされて、庄内の闇を黒々と浮びあがらせる結果を生んでいる。(講談社・三、二〇〇円)
↑ページトップ
書評・文芸時評一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。