075 「万物流転小説」の出現
   森 敦『われ逝くもののごとく』  高橋 英夫(文芸評論家)
出典:読売新聞 昭和62年7月6日(月)
 小説は自由な形式であるだけに、その亜種の数も多い。順不同であげてみれば、歴史小説、教養小説、冒険小説、恋愛小説、推理小説といった具合である。また歴史小説であって恋愛小説でもあるといった複合形態は少しも珍しくはない。ところで「万物流転小説」と仮に呼びうるような作品がこれまでに書かれたことがあっただろうか。全くないとは多分言えない筈(はず)だが、即座には思い浮ばない。そういう作品もあったろうが、「万物流転小説」という言葉でそれを捉(とら)える試みはなされずにきたということかもしれない。
 森敦氏の七百ページに近い大作『われ逝くもののごとく』(講談社)を読んで、私には、これは「万物流転小説」という新しい亜種の出現なのではないかという思いが募ってきた。文体や構成ではこの長篇に格別目新しい要素があるわけでもない。これは、森氏を世間に強く印象づけた『月山』『鳥海山』の系列に題材からしてもそのまま連っており、お馴染(なじ)みの森教の世界以外の何ものでもない。『月山』『鳥海山』山系の、十数年後に全容を露わにした最高峰である。底流している思想「一即一切」にしても、以前からの持続にほかならない。
 しかし作品の全貌(ぜんぼう)が、霧の晴れ間に山のかたちが現れるように浮び出たのを見渡すと、これは新種の出現か、という思いを禁じえなかったのである。
 かつて北前船で賑(にぎ)わった加茂の港は山にかこまれていて、即身仏で知られる鉄門海上人、鉄龍海上人が道を拓(ひら)こうと辛苦した土地だった。ここの漁民夫婦(じさま、ばさま)が鉄門海上人に願掛けして一人息子(だだ=父)を得たが、息子は北洋漁業に連れていってもらう機会のないまま軍に召集され、戦死してしまう。いつしか戦争が終わり、死んだ息子に思いを残しながら老いたじさま、ばさまも相次いで死ぬ。あとに息子の妻(がが)と娘(サキ)が残された。すべての人間が逝(す)ぎてゆくなかで、人生の変転をことごとく受け容れて生き続けるこの母と子、ががとサキを取り巻いた形で、加茂、鶴岡、月山一帯のあまたの情景と無数の人物群が走馬灯さながらに作品表層にせりあがっては、ふたたび没してゆく。これがこの長篇の大ワクである。
 だが何よりも多勢の人物たちの無軌道なまでに入り乱れての登場といつとはなしの退場が、生と死の渾融(こんゆう)によって発生した渦巻にえんえんたる無限性の感じを与えているのが強烈だ。それは、月山の注連寺にいつしか住みついた疫病神のような「善念大日様」、かつてだだが性の洗礼をうけたお玉をはじめとするあねま屋(遊女屋)の女たち、元陸軍将校の「上海」、その正体がはっきり作中に浮び出てこないインテリ「西目」といった奇妙な人物群であり、それ以上に何者なのかが全く分らない「われ逝くもののごとく」という人物まで影のように作品の方々を横断してゆく。後半、残り百ページの所で「わたし」まで舞台の上にあがる。一体これはどう解したらいいのか。
 いくつもの視線の重層によって、世界の存在は流転に等しいことが見届けられているのだと思われる。すべてが流転の中で相対化され、相対性において荘厳されている。とどまるものはない。この認識をもってもう一度人間界に向えば、ことごとくは善男善女と化している。ここでは一即多、多即一である。森氏の中にある華厳経的な世界像は深遠だが、われわれにとって必ずしも難解ではあるまい。
 思想的背景に深入りしなくてもよい。日本人は古くから万物流転とか走馬灯のような人生模様とかを、感覚的に知っていた。日本人だけではないのだろうが、日本人も知っていたのである。それは古くは絵巻物にも底流して、美学の型を作ってきた。近代文学でも、私の見る所では志賀直哉『暗夜行路』が(一般に認められているこの作品の主題とは別に)非常に多くの人物を惜しげもなく過ぎてゆかせる小説になっていた。また、深沢七郎『笛吹川』も戦乱で次々と殺されてゆく人物たちをえがいて、生命が過ぎてゆくという印象を与えていた。
 一方、森氏と「群像」七月号で対談している小島信夫氏の指摘のように、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』も生死の反覆によって成立する家系の代々がテーマとなっていて、『われ逝くもののごとく』と呼応しているのが感じられる。
 以上のような連想の中で、「万物流転小説」というジャンルが少しずつ見えてくる、と思ったのである。
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